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桟橋の歴史

英国における海岸リゾートの誕生

海岸リゾートにおける桟橋築造の幕開け

大衆余暇時代と第1次桟橋ブームの到来

第二次桟橋ブームと大型化

戦後から今日の桟橋

英国人の桟橋の楽しみ方

英国の海岸を彩る桟橋

英国人の発明−桟橋

歴史遺産としての桟橋

滞在型、通年型の海岸リゾート

海と人が中心の街づくり



桟橋の歴史

英国における海岸リゾートの誕生

 英国で海岸リゾートが登場するのは1700年代中頃と云われる[2][4]。冷たい海水を浴び新鮮な海辺の空気を吸うことが健康に良いと考えられるようになり、貴族や大地主など上流階級が休養と社交の場として訪れるようになり始める。
 そもそも英国で上流階級の社交活動が重要性を帯び始めるのは16世紀末から17世紀のようである。彼らの間で歩くこと自体を目的として歩く「散策」が流行し、地方にも社交活動の場としてのリゾート都市が各地に出来る[1][8]。その典型が、温泉の町バース(Bath)である。英国には温泉リゾートが約50か所あったと云われる[3][6]
 しかし温泉リゾートが次第に喧騒と遊興の都市に変貌していき、上流階級が次に向かった先がまだ開けていない海辺の地であり、海岸リゾートの誕生へと至るのである[7]
 英国最初の海水浴場とされる北東部のスカーバラ(Scarborough)や南東部のマーゲイト(Margate)もこの頃に海辺に開発され発展したリゾートである[9]
 なかでも最も栄えたのは英国南部の海岸にあるブライトンである。在住の3人の医者が海水浴の効用を書物に説き、健康回復にやってくる上流階級を増やしていった[10]。さらに後の国王ジョージ四世(George IV)(1820-1830年)となる摂政皇太子が当地を大いに気に入り、1789年に離宮ロイヤル・パビリオン(Royal Pavilion)をブライトンに建造し、華やかな饗宴を繰り広げたため、国中にその名声を広め繁栄の一途を辿った。 

海岸リゾートにおける桟橋築造の幕開け

 こうして各地に海岸リゾートが開発される中で、1800年代初頭には桟橋が建造され始める。船着き場を兼ねた“プロムナード桟橋”が築造される[9]。英国における「桟橋の萌芽期」である。
 桟橋は、上流階級だけが安心してそぞろ歩くことが出来る格好の場を提供した。何より海の新鮮な空気を吸いながら海水の間近を歩くことは健康によく、しかも船の舳先に立っているかのような解放感を船酔いすることなく楽しむことができた[9]
 マーゲイトには既に1800年頃に石積の防波堤を兼ねた船着き場が建設され、その上部がプロムナードとなった。やがて1812年には本格的な桟橋が新たに築造された。またブライトンでは1823年にチェーン桟橋が開設され、ターナーやコンスタブルなど著名な画家たちがこの桟橋を好んで描いた[10]。また1814年には南部海岸のワイト島にライド桟橋が築造された[11]。これら一群の桟橋が英国における海岸リゾートの桟橋の歴史を開いたと云ってよい[9]
 やがて1830年代から1850年代にかけて「桟橋の地方展開期」を迎える。各地で進む海岸リゾートの開発にあわせて桟橋が全国の海岸で建設され始める[9][12][14]
 この時期に入ると、ロンドンや各地の都市からリゾートにやって来る旅客のため、帆船やがて蒸気船が主要都市とリゾートの間に就航するようになり、多くの桟橋が本格的な船舶の接岸施設としての機能を強化する。

大衆余暇時代と第1次桟橋ブームの到来

 しかし第1次桟橋ブームとも呼ぶべき建設ラッシュが始まるのは1860-1870年代である。それは労働階級に休日が確保され、大衆余暇時代の勃興期が到来したことによる。1847年に10時間労働法が制定され、1850年には土曜日の半ドンも導入された。1871年には銀行休日法が制定され国民の休日が制定された[2][8]
 また1850年代にかけて鉄道が全国にネットワークを形成するようになり、蒸気船の発達とともに、海岸リゾートが大衆にとって手軽に出掛けられる余暇の場に変貌した[13]。1841年にはロンドンとブライトンを結ぶ鉄道が開通し、日帰り旅行が可能になった。1861年には1日に3万人ものがブライトンに来たと云う[10]
 この20年間に毎年2本の桟橋が全国で開設され続けた計算になる。もっとも当時の桟橋は幅もまだ10m足らずと非常に狭く、ただ人々が海の上を散策し船が接岸するだけの単純な施設であった。興味深いことにこの時期の桟橋築造プロジェクトはリゾート地の貴族や地元住民の出資によるものであった[9][14]
 英国の桟橋づくりに燦然たる名を刻む技術者がいる。ユージニアス・バーチ(1818-1884年)である。バーチは東海岸のマーゲイト桟橋を皮切りとしてブラックプールのノース桟橋、ブライトンのウエスト桟橋、イーストボーン桟橋、スカーバラ桟橋、ウエストン・スーパー・メアのバーンベック桟橋など、実に約30年間に14の桟橋を設計、築造した。この他にも全国の桟橋建設に活躍する技術者の多くは、まさに発展期にあった鉄道事業の橋梁や高架橋の経験と実績を活かして桟橋プロジェクトに貢献した[9]

第二次桟橋ブームと大型化

 全国に先駆けブラックプールのノース桟橋は桟橋の幅員を拡張し大規模なパビリオンを建設、そこで上流階級だけのためにコンサートの提供を始めた。
 しかし、この成功をみた他の桟橋も続々とこれに従い、ランディドノ桟橋では先端に2000人収容のホールを、また基部には4000人収容のホールを建設した。桟橋は大規模化し大型パビリオンが建設され、常にコンサート上演が提供されることが当たり前になっていった[9]。こうして1880年代後半から1890年代にかけて桟橋建設の第2次ブームが展開する。
 既存桟橋の大型化だけでなく、新規の桟橋建設も急速に進んだ。海岸リゾートの大衆化によりリゾート間の競争が激化し、それが桟橋の拡張や整備に拍車を掛け、さらに桟橋の上で提供する娯楽やサービスの内容を次々と拡大させる桟橋の黄金期に入っていった。
 大規模な海岸リゾートの桟橋は、それ自体がほとんど総合的なテーマパーク化し、多くの日帰り観光客が丸1日を楽しむ仕掛けを備えるようになった。年間に何百万人と云う観光客が海岸リゾートを訪れるようになる[9][14][15]
 また大規模な海岸リゾートでは2本、3本と複数の桟橋が建設されるに至る。ウエストン・スーパー・メアのグランド桟橋(Grand Pier)は1903年の開設であり、英国で最後に建設された本格的な桟橋と考えられている。
 一方、こうした桟橋プロジェクトには大規模な投資が必要であり、事業リスクも大きく失敗するケースも増えた。地元自治体が救済に乗り出すことも少なくなかった[9]

戦後から今日の桟橋

 こうした桟橋の建設ブームは、第一次世界大戦が始まる1914年をもって実質的に終わりを告げた。さらに第二次大戦に入ると、桟橋は戦時利用に転用されたり、ドイツ軍の上陸を阻止するため切断されたり破壊されたりした。終戦を迎えても、桟橋にかつての賑わいは戻らなかった。
 戦後の経済成長にともない都市の生活環境も格段に整備され、新鮮な海辺の環境を求める社会の欲求は薄れていった。また航空機の発達と大衆化により、地中海沿岸などへ気軽に旅行できるようになったことも、国内の海岸リゾートの人気が落ちた大きな背景であるとされる[14][15]
 しかし堅実で落ち着いた生活を求める英国民にとって、海や海岸は身近な海辺の休暇やリフレッシュの場として、日常生活の中にしっかりと根付いている。子供ずれ家族から若者世代や老夫婦まで、実に幅広い年齢層の国民にとって、海や海岸は自然豊かな生活の一部となっている[16]
 桟橋は英国が誇る100−200年を経た歴史遺産であるとともに、今日でも英国国内はもとより海外からも多くの人々を集め、海の上を歩く楽しみを提供する現役のユニークなインフラであり、全国の海岸リゾートの中核的な存在である。 
 しかし同時に、桟橋の多くはその維持補修に財政的な困難を訴えている。英国桟橋協会の会長ティム・ワードレイ氏がわれわれに語った言葉「歴史の継承と新たな前進」が、これからの方向性を指し示しているように思われる。英国文化の伝統としたたかさの中で、愛すべき桟橋が世代を越えてさらに生き続けることを願うばかりである。

参考文献

[1]川北稔編「イギリス史」山川出版社、2011年
[2]川北稔「イギリス近代史講義」講談社、2010年
[3]小林章夫「地上楽園バース:リゾート都市の誕生」岩波書店、1989年
[4]佐久間康夫、中野葉子、太田雅孝編著「概説イギリス文化史」ミネルヴァ書房、2002年
[5]フィリップ・S・バクウェル、ピーター・ライス、梶本元信訳「イギリスの交通」大学教育出版、2004年
[6]平林美都子「英国の近代ツーリズム(その1)−英国温泉地」愛知淑徳大学院論文集、2011年、pp.51−61
[7]平林美都子「英国の近代ツーリズム(その2)−英国海岸リゾート」愛知淑徳大学院論文集、2012年、pp.25−35
[8]村岡健次「ヴィクトリア時代の政治と社会」ミネルヴァ書房、1980年
[9]Cyril Bainbridge, Pavilions on the Sea- a history of the seaside pleasure pier, Robert Hale Ltd., 1986
[10]Martin Easdown, Piers of Sussex, The History Press, 2009
[11]Marian Lane, Piers of the Isle of Wight, Isle of Wight Council, 1996
[12]Timothy Mickleburgh, Guide to British Piers, Piers Information Bureau, 1998
[13]Kenneth O. Morgan, The Oxford Illustrated History of Britain, Oxford University Press, 1997
[14]John Walton & Richard Fischer: British Piers, Thames & Hudson, 1987
[15]Anthony Wills & Tim Phillips, British Seaside Piers, English Heritage, 2014.
[16]Visit England, Great Britain Tourism Survey, 2012.
(執筆者:井上聰史)

英国人の桟橋の楽しみ方

英国の海岸を彩る桟橋

 英国の海岸を歩くと、沖に向かって伸びる不思議な施設が目に飛び込んでくる。実は人々が海を楽しむための桟橋である。これらは、英国が産業革命に成功し繁栄を謳歌した1800年代のビクトリア時代に建設されたものである。
 当初は上流階級が休養や社交のため海岸の街に滞在する際に、海の上を自由に歩き楽しみ、かつ帆船や蒸気船でやって来る利便のために建設された。しかし1800年代半ばに入ると余暇の大衆化が始まり、全国の海岸リゾートに労働者階級がこぞって押し寄せた。



 全国で約110の桟橋が建造されたと云われ、その後、暴風や高波、船舶の衝突、火災や老朽化により約半数は消滅したが、現在59桟橋が残っている。
 今日でも桟橋は、英国人にとって身近な海辺の休暇やリフレッシュの場として定着し、愛され続けている。家族連れから若者世代や老夫婦に至るまで、一年を通して海を楽しむかけがえのない場となっている。

英国人の発明−桟橋

 人間にとって海は特別な存在である。その海の上を自由に歩き、大海原を感じることができる桟橋は、英国の偉大な発明と云ってよい。桟橋の手摺りに羽を休めるカモメを見ながら、広大な海原の只中を歩く爽快さは格別である。
 桟橋は沖合まで長く延び500mを越えることも珍しくない。最長のサウスエンド桟橋は2,158mもある。また社交の場であった桟橋には数多くの劇場が設置された。冬の庭園(ウィンターガーデン)と呼ばれるガラス張りの巨大なパビリオンも桟橋に数多く建設された。
 英国の気候は夏でも変わりやすく、四季を通して厳しい。そんな中で桟橋は、寒さや強風にもかかわらず気軽に訪れ、海の眺めや散策、演劇やコンサート、談笑や食事を楽しむことが出来る海上の庭園となっている。

歴史遺産としての桟橋

 ビクトリア時代に建設された桟橋のうち半数は、波浪や火災、老朽化により消滅してしまった。現存する59桟橋と云えども、どれ一つとして無傷で今日に至ったものはない。
 とくに桟橋上に建築されたビクトリア時代の貴重な劇場やパビリオンなどは木材を多用しているため、残念なことに多くが火災で焼失してしまった。

 こうした頻繁な災害の度に、桟橋所有者のみならず桟橋に愛着を覚える地元住民が立ち上がり桟橋の再建に取り組んできた。その再建費用の多くは寄付に依っている。
 現在われわれが目にすることが出来る桟橋は、こうした絶え間ない努力の賜物である。人々が言葉でなく生活実感として桟橋の価値を理解するからこそ、途切れることなく継承の努力が続いてきたのであろう。
 英国の桟橋のユニークさは、歴史遺産としてただ保存するのではなく、人々が生活の中で気軽に利用し楽しんでいる点にある。

滞在型、通年型の海岸リゾート

 英国の海岸都市はブライトンやボーンマスなどを除き、おおむね人口5万以下の中小都市である。しかし、驚くほどどの都市も元気が良い。それもそのはず、英国人の宿泊を伴う休暇旅行の実に30%以上が海岸のリゾートを目指す。しかも1週間ほど滞在する。

 彼らは海でただ泳ぎ浜辺で日光浴するためだけに来るのではない。海岸や街中での散歩や食事、美術館や博物館巡り、さらに周囲の丘陵でトレッキングやサイクリング、乗馬などをマイペースで楽しむ。
 さらに夏場だけ洪水のように押し寄せる訳ではない。年間観光客の44%が夏に訪れるが、春(32%)と秋(14%)だけで夏のそれを上回る。厳しい寒さの冬でも実に10%の入込がある。文字通り通年性の滞在型リゾートとなっている。
 成熟した社会の豊かさをそこに見ることができる。こうしたライフスタイルの中でこそ、人々は海と海岸のもつ本当の素晴らしさを実感し、桟橋を愛し続けているのであろう。

海と人が中心の街づくり

 英国の海岸の街づくりは、人と海が主役である。どの街でも気持ちよく延びる海の散策路「エスプラナード」が広々と海岸に整備されている。けっして道路に付帯する歩道ではない。車道より幅員の広いエスプラナードも珍しくなく、海岸リゾートの顔となっている。
 このエスプラナードは、同時に海岸都市を暴風や高波から護る防潮堤の役割も果たしている。幅広い防潮堤を人々が海を楽しむ散策路として利用しているとも云える。
 人々は何者にも遮られず、ゆっくりと広大な海を楽しみながら歩くことができる。気がむけば海岸の浜にどこからでも気軽に降りることができる。
 桟橋はこのエスプラナードの中心であり、海と街をつなぐリゾート活動の核心的な拠点となっている。街に暮らす人々が、また訪れ滞在する人々が、海を楽しみ、海に通う生活の空間として配慮の行き届いたデザインが隅々にまで施されている。

(執筆者:井上聰史)